気持ちはわかるけどよー

学生時代、バイトで時間を切り売りしてお金を貯めるよりは、ぼんやりしたり編集室に籠る時間を確保しつつ、生活を切り詰めることによってお金を捻出することを選んでいた自分だが、それでもさすがにいくつかバイトした。某レンタル屋(ビデオとかでなく)でバイトしていた時の話。
町内会だったか青年団だったか忘れたけど、秋川渓谷でBBQセットやらテントやらのレンタル依頼があり、大口なので店のスタッフ総出で物資を運んで行った。この時指揮していた社員の人がちょっと迂闊なことで社内的に有名な人で、ちょっとしたミスを犯しては上司に叱られているのをしょっちゅう見ていた。どうやらバイトから叩き上げで社員まで上り詰めたらしく、基本的に熱い人柄で、バイト教育には根性論を用いて説教したりしてた。仕事以外で付き合えば面白い人なのだろうけど、残念ながら自分たちの上司なのでウザいだけだった。
店のスタッフジャンパーを着て、どんよりと曇って肌寒い河原でいろいろ準備してた。本当にBBQが実行されるのか微妙な天気だったけど仕事なので仕方ない。大きな七輪に炭を敷き詰め、なかなか火がつかないなーなんて試行錯誤していると件の社員、ゲル状の燃料をぶちまけ、「ファイヤー」とか言いつつだしぬけに着火した。見えない高温の炎がボッ。自分たちはまだ七輪を覗きこんでいる時だったので、あやうく眉毛を失うところだったが、社員は自らの手際の良さを自慢していた。まあいい。
ひととおり準備を終えて、「おいちょっと休憩しようぜ」と、小雨を凌ぎつつテントの下で一服していた時。眉間に皺を寄せる独特の表情で、「おいqtiよー」と社員。なんですか、とビクビクしながら聞けば、「お前よ、今日は配達と準備だけだからいいようなものの。客商売なんだからよー。ヒゲくらい剃ってこいよ」
自分はヒゲが薄かったので週一くらいしか剃ってなかった。その日は無精っぽくヒゲが生えており、確かにそれは自分が悪いので、すいません気を付けます、とか謝った記憶がある。社員は続けた。
「気持ちはわかるけどよー」
……って、なんの気持ちなのかよくわからなかった。ヒゲを伸ばしたい気持ちが理解されたのだろうか? とはいえ、それはどういう意味ですか、などと聞き返すと火に油のような気がしたのでスルーして、そのうち客の幹事が来たので店のスタッフは帰ることになった。
社員の運転するハイエース。おもむろに社員はダッシュボードからカセットテープを取り出し、カーステにセットした。流れ出すナガブチ。
長渕?
自分はその時伸びかけ坊主頭で無精ヒゲだった。自分の顔を一瞥して「いいよな」と社員。その目に共感の色。自分は長渕ワナビーであると社員に認識されてしまっていたのだった。『乾杯』と『巡恋歌』しか知らない自分だったが、ああ、はい、ええ、まあ、と濁し続けた相模原までの小一時間は長すぎた。
自分はそのバイトを半年足らずで辞めてしまったが、その時に「がんばれよ」などと声をかけてくれたのはその社員だけだったように思う。映画をやっていたのは黙っていたけど、一度、本社の偉い人が店に視察に来た時、新入りのバイトである自分とW稲田大学の学生が挨拶させられた。W稲田の学生が所属を言うと、「ほう!」なんつって激励をはじめた偉い人だが、自分がZ形大学という所属を言った瞬間に真顔で「…それって有名?」と返した。
そういう会社にはさぞかし居にくかっただろう、件の社員。今なにしてるのかなあ。