Googleマップの新機能、Street Viewを試したところ、自宅がもろに写っていてびびった。自宅は大型車だと入れない路地の先にあるのだけど、よくもまあこんな狭いところまで。
陽の傾き方とか植物の様子からして秋冬の夕方に来たのかと推測したのだけど、通りを一本超えたら桜が咲いていて、じゃあ春なのかと思えば、多摩川越えると咲いてなくて、細かくマメに撮影してまわったのだなあ。
廃品回収とか焼き芋とか灯油売りじゃなくてウェブサービスの車が近所を通ったかと思うと、ああ未来ぽい、などと思えど、もし次にこれをやるなら「こちらはグーグルです」とか流しながら来てもらわないと、洗濯物とか布団とか自分そのものとか写ってしまう可能性もあるのでちょっと何とかして欲しい。アメリカならともかく、日本の、狭い道に窓が面している家なんかは面倒なことになるような。今後は住所さえわかればどんな家に住んでるかとか調べられるようになったわけだ。ロケハンなんかの時には便利だけどな…。


宮崎駿のドキュメンタリーを観た。まだ観てない『崖の上のポニョ』のネタバレ、というか、いわゆるネタバレは犯人探しモノでない限りそんなに気にしないんだけど、作家の考える落とし所という、ある意味ネタバレより重要なことが開示されていて、ちょっと観たことを後悔した。でも面白かったのは確か。
監督が、脚本であり全体の設計図でもある絵コンテを描くのと、実際の作画が同時進行で行われているそうで、アニメーションなのに即興演出で順撮りしていくようなスリリングな現場らしい。こんなに作家主導の現場だとは想像もしてなかった。個人でアートアニメーションを撮っている作家と変わらないんじゃないか。もし監督の描いたコンテに他者のチェックが入らないのだとしたら、そりゃあ監督の妄想が純度100%で出るだろう。こんな作り方をしているスタジオが他にあるのか疑問。
監督は70才を越えても青年のようなことを口にする人だった。番組はやけに死のイメージを強調していたけど、それが構成作家の感じ取ったことなのか、恣意的に「そういう人で、そういう映画である」というニュアンスにしているのかわからないけど。彼岸のことを考えざるを得なくなってきてる、って、あー言っちゃった、みたいな感じ。スピルバーグも60越えてるから新インディは彼岸のお話とか、それは無理矢理すぎる解釈。言わなくていいこともあるでしょ。