御茶ノ水

ENBU授業8回目。前回の反省点を踏まえて、セリフに頼らない、情景描写をやってみる。
意味がない言葉、というか、コンテクストが完全にズレている短い言葉を喋りながら、ある感情表現がメインになるシーンをグループで即興で演じるという感じ。事前にネットから無作為にテキストを集めておいた。
準備運動がわりににらめっこトーナメント。役者同士のにらめっこは時間がかかるらしい。笑わないと決めたら絶対に笑わないという強さをもった人がいて、結局7人が引き分けで同列優勝。
休憩を挟んで無意味なテキストによるエチュード。まずはゲーム的に、一人一人に「相手にして欲しいこと」を書いた紙をくじ引きで配布、別の一人にそれをジェスチャーで頼む。喋っていいのは無意味なテキストだけ。普通のジェスチャーゲームと違って喋れる分、お願いの難易度を上げた。
次いで、ある感情を指定して、それを伝えるためのシーンをグループで演じてもらう。例によって喋れる言葉は全て無意味なもの。意味をなさないとはいえ時たま漠然とフィットする言葉があったり、全くナンセンスがゆえに笑いに転じてしまうところもあったが、基本的に「相手が何を言ってるのかわからない」まま、観ているこちらに情景を伝えないとならない。言葉の強弱と表情、動作、アイコンタクトだけで演技することになる。最初のゲームでコツをつかんだのか、これが予想以上に良かった。無意味な単語の羅列でも、喋り方や表情、間、少しだけ強調された動作によって、ちゃんと普通の会話に見え始めるのだった。
なんだ、できるじゃん。この呼吸を忘れて欲しくないと伝えた。でも青春ぽいシーンやれば僕が喜ぶとか思ったらそれはおおむね間違いであることは言っておく。
今までで得たものをもとに脚本を書き始める。書かれたセリフは、必要だから書かれているのだけど、それに縛られないような、今回みたいなゆるい間で出来るようなものになればいいのだけど。
それにしても本当にエチュードと台本の得手不得手があからさまだ。この世の映画・ドラマ撮影のほぼ全部は台本によるものなのだから、うまく台本を演じられるのが俳優に必要な能力なのは確か。でも「間」をどう解釈するかとか、実際に「間」を演じるためのセンスとか、台本ばかりやってたら身に付かないはず、と今は信じてやってる。


そういえば昨日の面談をすっぽかしたSは今日も欠席だった。叱る気が失せる。これがSの作戦だとしたら大した役者だ。