昨日、Macの内蔵電池がついに切れた、というか不具合が発生した原因が電池だったということが判明し、交換のために型番を調べていたらAmazonにあったのでそのまま注文した。その夜遅くに発送のメールが来て今日の昼過ぎにはもう届いた。インターネット便利。すぐにMacをこじ開けてついでにホコリを掃除し電池交換。もろもろ設定とかメンテしようとONYXを立ち上げたら起動ボリュームに問題ありとか、少しヒヤリとしつつインストールディスクからいろいろやって修復、事無きを得た。
このMac使い出して初めての電池交換だったんだけど、つまり相当の高齢Macということだ。長い編集が終わるとメンテしたり、変な音がしだしたらすぐにHDD交換したりで長く使えているが、最近ちょっと動作がおかしかったり妙に重かったりする。さすがに現役を引退させようと、新しいのをいろいろ調べてるんだけど、お気に入りのワープロソフトがインテルさんでは動かなかったりで、脚本書き専用マシンとしてまだまだ働いてほしかったり。
祖父の遺品整理をしていた時にオリンパスのハーフサイズのカメラがあって、シャッターが切れなかったんだけどいずれ修理できるかもと思いもらってきた。今日twitterでカメラの話題になりふと思い出したのだけど、動かないカメラなのにどうしても処分できない。祖父は旅行好きで、どこへ行くにもカメラを持って行ったし、自分が小さい頃の写真もこのカメラで撮っていたのだ。ケースから取り出して覗いてみると、古いカメラ特有の匂いがして、それは祖父の匂いの一部でもあって、いろいろ記憶が掘り起こされる。
今使っているMacだって、何本か映画をつくったマシンだし、あんなデータやこんなデータが貯め込まれ、長年部屋にあるのでちょっとした匂いもするかも知れない。ただ自分がもし死んだとしたら、遺族は祖父のカメラのように大事に思ってくれるだろうか。
たぶんそうでもないと思う。
動かなくなったら本当になにもできないし、そもそも仕舞っておくには大きすぎる。
実際に触れて持ち歩くノートパソコンだったとしたら少しは事情も違うかも知れないけど、なんだろう、身体の一部感、とでも言うべきものが道具にこもってないと思い出の品になりにくいような気がする。パソコンは脳の一部を確実に担っているとは思うんだけど身体感は薄いような。