名古屋にて、自宅にて

名古屋に滞在し、ドラマとは、憎しみとは、記号とは、女性とは、恋人とは、こころの交流とは、親とは、子どもとは、Windowsとは、共感とは、などの人生観死生観を含む問いを次々と突きつけられ、数時間でクリアしなくてはならないという状況に追い込まれ、これにうまく対応できずに各所にご迷惑をかけ、這う這うの体で帰らざるを得なかった。脚本についての考え方を深く改めた後に、やはり自分は間違っていないという思いが現れ、それらが高速で振幅するので脳がフリーズ、気が付いたら二時間経過していたなどという時間軸のねじれによって、自分が何日名古屋に滞在しているのかということがわからず、帰ってからtwitterのログで確認したところ一週間だった。傷ついたし一時は絶望さえしたが、食べて眠るとなんとか生きていける気がする程度に鈍くなっているのは、年をとった成果だろうと思った。
神奈川の夏休みみたいなジリジリした日差しはやはり最高、という思いで帰宅したところ、自宅の傘がコンクリートブロックに立ててあり、大家さんの粋なはからいだろうかと思った。後に同居人と食事した時に、隣人である気さくなおばあさんが引っ越すということを知り、多分おばあさんが呉れたのだろうと、引っ越し作業中の隣室を訪ね、掃除していた女性に礼を言った。
会えば挨拶するしちょっとした言葉を交わす程度の仲だったが何か寂しいものだなあ、と自宅で煙草を吸っていたら、おばあさんが訪ねてきた。ドアを開けるとおばあさんは、野武士が槍を持つようなポーズで棒を持っていて、何事ですかと思ったが、良く見ればそれは物干し竿だった。これいらない?とおばあさん。既に一本持っているのでどうしようかと思ったが頂戴することにし、傘立ての礼を言った。おばあさんは近くのマンションで息子さん夫婦と同居するのだそうだ。
それにしても何でこんなに傘持ってるの?と聞かれたが見た通り、出先で降ったら買ってしまうのです。あたし足悪いから杖代わりにあると便利なのよ、と一本を手に取るので、良かったら差し上げますと自分。
じゃあ貰っとくわありがとう、じゃあね、と部屋に戻るおばあさんの背中に、お元気で、と言ったが、はたしてああいう挨拶で良かったのだろうか。
そういえば名古屋に行く新幹線で、やはり二人の娘さんを持つ還暦の女性に声をかけられ、小一時間身の上話をして名前を教え合ったが、その時も「お元気で」と別れた。お元気で、という言葉が持つ一抹の寂しさが、夏、終わりそうだなあという寂しさとシンクロしてなんか長文の日記。