海がないのにイルカをマスコットとして持つサッカーチームのお膝元に住んでいるにも関わらず、サッカーに興味を持ったことがなく、先日などは、「あ、今年日本はワールドカップに参加できることになったんだね」という、自分の持つ驚愕の知識を、同居人が職場の人に漏らしたところ、嘲笑を受けたというのはまあ理解できるが、問題は同居人も一緒になって自分のことを嘲笑していたということで、なんとも遣る瀬無い。今日思い立って少し観てみたが、江藤という人は日本チームではないらしいし、逆に日本チームのトゥーリオという人の髪形が気になって仕方なかった。勝ったので良かったですね。
最近は、と書こうとして、この日記に文章がなくなったのはいつからだろうか、いつを以て最近としたらいいのか、と思い当たるも、ログを遡るのが面倒なので、ここ二ヶ月くらいのことを書くと、最近は、家で書き物をしている。
塚本晋也監督作品のDVD-BOXに同梱される特典ディスク『塚本図鑑2010』の構成演出編集を請け負ってそれが終わり、先月今月と、腰を据えて長編の脚本を書こう!と思っていたのだが、提出する宛ごと消えてしまったので保留。あるプロデューサーから声をかけてもらい、劇場映画ではないが、いくつかの企画を練っている。書くことがあるだけ精神衛生的には良いが、先は見えずきゅうきゅう。
このところのしみったれた状況によって、「原作がなければ難しい」という現実を知るのだが、どうしても、そのようなギラギラした目で原作とさせていただく他分野の作品を探すことができない。そもそも、自分が好きな、あるいは共感できる箇所のある作品はだいたいどれも映像化困難or不可能、あるいは「身の丈」に合ってない。「身の丈」。つまり、自分が監督するには役不足ということで、ほんとなんかもう暗澹たる気持ちになる。もうこうなったら、自分で原作を書いてしまうという、ちょっと前まで冗談半分で語ってたことを、本気でやるべき時なのかと思う。でも今は、かすかなオリジナル企画への希望を持って新しい引き出しを構築しているところ。
別のウェブサービスでは、24時間、映画への熱い思いが語られているのだけど、そこにはちょっと乗り切れないなう。持ち寄れるタマがある人が輝いて見える。いまの自分にはタマがないので消費するしかなく。なんかこういう感情、美大通ってたころに味わったような気がする。何も成していない、と思っている時の肩身の狭さ。
きょうだいに子どもができたので、あまり育ってしまわないうちに、一日も早く顔を見に行きたいのだが、諸事情あってなかなか叶わない。もう少しアカチャンのままでいてくれ。もう少し。