新潟

前の日記に帰省のことを書いた矢先、以前から病床にいた大叔母が亡くなってしまい、葬儀に参列するため二日間帰省していた。大叔母は母の叔母、自分から見るとおばあちゃんの妹で、何と呼んだらいいかわからないので(今wikipediaで調べた)、ずっと母と同じ呼び方をしていた。叔母さん。
叔母さんは母が子どものころ同じ家に暮らしていたこともあり仲が良かったのだが、自分とはあまり交流がなく、祖母が大病を患った時の見舞いの場などがきっかけでようやく親しくさせてもらうことになり、自分のきょうだいの結婚式にも来てもらった。関係性がちょっとややこしいがつまり、好きなおばあちゃんだった。微妙に遠縁なので手伝えるようなことはなかったが、お骨を拾わせてもらい、送ることができたので良かったと思う。
叔母さんが亡くなったことで、母を育ててくれた血縁者が皆いなくなってしまったことになり、さぞかし…と思うのも束の間、母は孫の世話にきりきり舞いなのだった。生まれて間もないのできょうだいも実家に居て一緒に世話している。何かやることがあるのはいいし、それがアカチャンの世話なのだから、数年前の葬式ラッシュに比べれば俄然上向きの良い傾向、ほんと人生いろいろだよねえ、などと。自分も(ついに)ご対面したのだけど、小さいわ、アカチャン。あと動く。泣いたり寝たり排便したりする。自分の子どもではないにも関わらずただ眠っているだけのアカチャンの映像を30分もビデオに収めるなど、なにかの箍が外れてしまったのか、「命は続いていくのだなあ」などとベタすぎることを思い赤面する。しかも実感があるからたちが悪い。
帰りは高速バスでのろのろ来た。二日間とも朝が早かったのでほとんど眠ってしまっていたが、ところどころ見た景色に普通に雄大さを感じるなど、どんだけパソコンモニタに縛られた生活してたんだと。