qti2007-10-24

中途半端に眠れず、朝のワイドショー観るはめになる。朝っぱらから、ただでさえ悲惨な事件を過剰にシリアスに演出してるので気が滅入る。眠い頭にナレーションの深刻な声が刷り込まれてしまう。こんなの毎日観てる人は元気に出勤できてるのだろうか。
昼頃から夕方まで仮眠、起きて、たまってた事務電話数件一気にやる。オシゴトと創作と指導と収入と出会いの可能性と仁義と時間と、ええといくつあんのかわからないアレらのせめぎあい。言い訳の理由として「前例がないから」と言うのは納得しかねる。素直に予算がないって言えばいいのにさっ。
ゆとり教育」という言葉がひっかかる。自分の世代くらいになるとそれ以下の世代に対してがっかりする傾向が強くなってきて、「ゆとり」は恰好のDISワードというか、「ゆとりどもめ!」と一括して一喝することによって一応の納得を得るのだけれど。仕事柄二十歳前後の人々と接触する機会が多いけど、怠けがちなのは人のことを言えないけど少なくとも情熱みたいなものが見えないとか、欲しいもののためにどうしたらいいのか考えたり、そもそも欲しいものはあるのかとか、正直、そういうアクションが見えないところはあれども、いろいろ悩んでる季節にゆとりどもは今いるはずで(自分たちががっかりしがちな季節にいるように)。自分らが若い頃に、自分たちは上の世代が嘆くほどバカではなかったことを考えると、彼らもいずれそのゆとりっぷりを何か形に出して見せてくれる、ことを期待したりするのだけど。
もっともコミュニケーションの形、共通の言葉を何か探してはもらいたい。中年にもなるとどんどん頭が固くなって、なけなしの情熱で歩み寄ろうと思っても、「別に…」とか言われると萎えるので。