御茶ノ水

ビデオ撮影の良さの一つとしてとにかく長く回せるということがある。フィルムは1リール10分程度、8mmなら3分程度しか撮れないというのがワンカットの物理的限界なわけだが、ビデオはテープのある限りもっと回せるわけで、実際30分以上ワンカット撮影という映画も存在する。そしてテープメディアからデータに移行するようになれば、60分や120分の枠にとらわれず、記録媒体の容量がある限り延々と回せるようになるわけだ。24時間ワンカット撮影の映画を24時間かけて観るという作品も理屈の上では可能で、まあ見られるものになるかどうかの問題は別の話だけど。
そんなことを昨夜だらだらと考えていたこともあって、授業4回目、10分とか20分の長回しワンカットをやってみたいと思った。24人の俳優が一同に会して長時間集中して演技するという機会はあまりないはずで、ともすれば面白いものになるかも知れない。朝から都合2コマ連続。今日は一昨年のOB(映像俳優コース夜間部の俳優たち)が遊びに来たいというのでついでに参加してもらうことにした。天気いいのでたまには外で解放感を味わいつつ。ENBUから徒歩10分くらいの公園を教えてもらった。
午前中、まず公園に移動。任意の1〜4人のグループ分けをして、各々にシンプルな設定を与える。兄弟、カップル、仕事相手、などと、それぞれの関係(仲不仲、職業、目的)。全員が「同じ飛行機に乗っていて、羽田から福岡に向かうところ、他人同士のグループである」ということを、グループごと隔離して伝え、ディティールを話し合って詰めてもらう。後に役柄上でのフェイクインタビューを撮影、さっき決めた関係性について訊く。
休憩を挟んで午後、稽古場で撮影したい状況を伝える。「全員の乗っていた飛行機が堕ちた(かも知れない)。事故の衝撃があって、次に気がついたらこの部屋にいた」で、そのままスタート。全方位を手持ち撮影で何らかの方向性が見えるまで続ける。
ゴールを決めなかったし恣意的に誰々を動かしたりしなかったので案の定グダグダになる。とにかくこの理不尽な部屋を脱出しようと試行錯誤するグループを近くにいる人が手伝ったりするが、他は皆グループごとにぐったりしていたり、状況を考えようとして混乱した素振りを見せたり。現実にはこのようなことは起らないはずで、仮定のなかでの行動とすれば確かにリアルなのかも知れないが、中途半端に何かしなければという意図が見え隠れする雰囲気が良くない。この「物語」を先に進めようと、意図的に挑発的な言葉を皆に聞こえるように喋るカンのいい俳優もいたが、そのパスをうまく受け取って発展できる人がいない。どうしても先方に行かないとならない事情やら、すでに遅刻していること、実は知り合いだったことなど、使えそうな伏線をいくつも言い含めておいたにも関わらず誰も使おうとしない。結局、脱出しようという強い行動に引っ張られる形で何となくまとまっていってしまう。
二回目、三回目と、新たな俳優を入れたりちょっとした指示を出してみるがやはり混沌としたまま。徐々に慣れてきて動きも大きくなってくるが、一回手の内を明かし合っているわけで、ガヤガヤしているだけで嘘臭くなってくるし、そもそもの設定を忘れて行動してしまう。各々の事情の中で静かに、収束せずに時間が過ぎていくという方向もあるはずと思っていたが、いまの段階では難しいようだ。
もっとも演出とはこの混沌に方向性やら動きやらを与えるものであって、それをしていないためこうなるのも当然。台本なしで30人近くを同時に演出することは本当に困難だと知る。
全てのテイク(一回15〜20分)を皆で観たが、結局カメラを回していなかった1回目に一番リアリティを感じた。うまくいけば作品になるかもと思っていたがとても無理。状況の中での各々の行動はリアリティがあったのかも知れないが、やはり、フレームに切り取らないことには劇にならない。長時間集中して演技すること、画面の端でも集中力を切らないことについての重要性は伝わったと思うが。
終了後、20人くらいが参加して飲み。ぐったり疲れていたのは自分くらいで、皆元気に飲みまくってた。最年長の生徒でも10才も離れているんだから、『シンク』に出てた時と変わってないですねー、などと言われても全然嬉しくない。