先日部屋の書類・封筒のたぐいを一斉に捜索しなければならない事態に見舞われたのだが、肝心の失せ物は出てこなかったかわりに、学生時代に、たしかアルバイトの給料を振り込んでもらうために作った銀行口座の通帳が出てきて、見ると、一万円程度の残高があった。映画代金にも困窮している昨今、過去の自分は未来の自分に投資をしていたのだなあ、ありがたく使わせてもらおうと近所の同銀行支店に行った。ところがATMで処理できないとの旨が表示されるばかりで、暗証番号が間違っているのか、記憶が曖昧で、係の人に促されるまま窓口で事情を話す。窓口の女性は、単に、長い間使っていなかったので口座を停止させていただいております、と説明してくれ、それは十分納得できる理由であって、むしろ長い間貴行を使っていなかった私が悪いのであって、個人情報だのセキュリティだのやかましい昨今、古い通帳だけを持って現れた怪しい男にここまで誠意を持って対応してくれる窓口の女性が本当に頼もしく思える。ただ問題は口座の凍結を解除するにはこの通帳を作った相模原まで行かないと無理というので、え、その支店てまだ営業してます?などと失礼極まりない質問を思わずしてしまったのを許して欲しいのですが、だって相模原はJRのほうの相模原で、電車で一時間以上かかるわけ。数秒の間、まあ一万円だし往復の交通費差し引いても元はとれるし日記のネタにもなるし、などと計算して、わかりました、ありがとうございます、と帰ろうとする自分を、窓口の女性は「残高だけなら今お調べできます」と呼び止めてくれるのだ。さすがだ。相模原問題を早急に解決した暁には、個人的なヘソクリとかはこの銀行に入れよう、と決心し、じゃあお願いします、と待つこと数分。自分を呼びだしたのは別の女性行員で、窓口も別だった。ちょっと若くてしかも隣のクラスの女子感のある可愛らしい女性で、そのことによって残高照会感が否応無しに高まっていく。この女性の口から一万数百円という金額を聴く心の準備を、数歩移動する間で整え、さあ聴かせてくれその言葉を、という万全の態勢で「はい」と答えるや否や、女性は「151円です」とひどく事務的な口調で言うのだった。
このようにして自分は相模原に行く動機を失った。これら一連の出来事において最も悪い者は明らかに過去の自分であり、過去の自分は狡猾にも、もうこの銀行を使うことはないだろうと判断し残高をギリギリまで精算していたのであり、現在の自分は「すいません、もう一度言ってもらえますか」と聴き直してしまうほど小さい人間に成り果ててしまっていて、この「過去の自分VS現在の自分」という構図を物語にしていつか元をとってやると考えるしかないのである。