Aphex Twinの奇行伝説

  • 生まれてすぐ死んだ兄の名前(リチャード・D.ジェイムス)をそのまま命名された。
  • 16歳まで自分の作曲した音楽しか聴いたことがなかった。
  • 自作の楽器のみを使用。ライブにも自作機材を持ち込み、機材が故障したらライブ終了。
  • アメリカのSireレーベルと数億円と言われる巨額の契約金でサイン。その契約金で戦車(実際は装甲車)を購入。
  • 多くの楽曲のリミックスを行っているが、嫌いな曲しか引き受けない。クソみたいな曲を少しでも減らしたいからというのがその理由である。また、あまりにも原曲とかけ離れた仕上がりになるものが多く、実際にリミックスをしているかという点にも疑問を持たれ、未発表曲を渡しているだけではないか?とも言われている。
  • ビョークにテレビの砂嵐の楽しみ方を教える。
  • ライブで自分のCDをそのままかける。
  • 1997年の第一回フジ・ロック・フェスティバルにて来日。ステージ上に犬小屋を設置し、終始その中で演奏する。
  • 1998年、恵比寿ガーデンホールで行われたRephlex Nightにて来日。ステージ上には一度も姿を見せず、終始舞台裏でDJを行う。
  • 1999年発表の「Windowlicker」をスペクトラムアナライザに通すと、悪魔のような顔が浮かび上がる。しかしこれは悪魔ではなく、リチャード本人の顔画像である。
  • 多作家で毎年のようにアルバムをリリースしていたが、「死ぬまでアルバムは発表しない」と発言し、実際に作品のリリースが極端に減った。結局2001年に二枚組の大作『Drukqs』を発表したが、その理由は「自分とSquarepusherの未発表曲が何百曲も入ったMP3プレイヤーを紛失してしまったから」である。
  • イギリスの音楽機材雑誌「Future Music」にて行われたWagon ChristLuke Vibert)のリミックスコンテストにて、Tahnaiya Russellなる謎の人物が優勝。Lukeが「これはダントツ!最高のAcidラインだよ!」と語るそのリミックスの作者は、実はRichard D. Jamesだった。

エイフェックス・ツイン - Wikipedia